東日本大震災

3月10日に本帰国した。
それから5ヶ月もたった。

帰国翌日に大震災が起きたので
それから今まで
いろいろな事を感じたり
思ったり、考えたり、考えさせられる事が多かった。



被災したとは言えない私にさえ
なんかこう空回りしているような
それでいて
現実が迫ってるような
よくわからない時間が流れ
今も流れている。



あのとき
どこにいた?
何してた?
そして?

というのはきっとずーっと人々に話題にのぼり、
人々の記憶に刻まれる。


私は三鷹駅あたりを車で運転中。
次男は私の車の後部座席。
夫は北米の東海岸
長男は米国出張でアトランタへと向かう飛行機の中。
長女は福島で大学のホッケー合宿中。


それぞれにそれぞれの物語。
私の家族ですらこんなに違うんだから
日本国中一億数千万通りの物語がある。

こんなに大きな天変地異。
全く影響を受けなかったという人はいないと思う。


それが長編なのか
短編なのか
どのような結末に向かって行くのか
それぞれのこれからにかかっていると思う。





人生は不思議だ。


あと数年の命と宣告され覚悟をしていた人が
生きており
あと何十年も生きて行くつもりの人が
何万人も
亡くなってしまったあの日。


生きているということは
時間があるということだ。


何もしないし
何もしたくない時間も
何かにうつつを抜かしている時間も
何かを必死でしている時間も
何かに打ち込んでいる時間も
ひとえに同じように貴重だと思える。


それが生きているということだから。




震災に限らず

困った事
嫌な事
苦しい事
悲しい事
腹立たしい事
恥ずかしい事
がっくりくる事



それらが起こった時に起こった原因を求めて
何かを責める(それが他人でも自分でも)のは不毛だな
といつも思う。


何が原因をとことん突き止めてもいいけど
その原因はえてして
複雑に絡まり合っていて
これ!と
はっきりとわかる事なんて稀なんじゃないだろうか。






終わった事実は変える事ができない。
終わった事実の捉え方は変える事ができる。


嫌な事が起こったときに


時間はかかっても


それらの事柄が自分に
そう、他でもない自分に降りかかった
その
意味を
探りながら
トボトボとでもいいから
前を向いて
歩んでいける人になりたい。
きっと共に
歩んでくれる人がそばに現れる。
きっと手を貸してくれる人が現れる。
きっと手を貸してあげたくなる人も現れる。




8月15日
お盆によせて
そんなことを思う。