旅の仲間

NY州RYEという町にressurrectionという小さなカトリックスクールがある。娘が10年ほど前に通っていた学校だ。その学校に通っていた娘の友達の母達が、わたしがまたアメリカに帰ってきたことを知って、集まってくれることになった。



その学校には2年半しか通わなかったし、日本に帰ってからはもう、再び会うことはないと思っていた。連絡も取り合わなかったし、クリスマスカードすらやりとりしていなかった。もう自分の中では記憶のかなたで失くしてしまった人たちのように思っていた。


私にとって、娘の友達のそのママたちにはやっとなかよくしてくれたという特別な思いがあっても、彼らアメリカ人にとっては瞬間通り過ぎた日本人にすぎないのだろうと思っていた。階級社会のアメリカにおいて、金持ちでもないし、もちろんどのクラブにも属していないし、しかももうRYEを離れた私たちのことなんて、自分たちには全く関係ない人たちだと認識され、忘れ去られてもしょうがないことだと思いこんでいた。



でも、今日こうして、わたしを囲んで集まってくれたのだ。


昔娘がよく遊ばせてもらったおうちに集まった。間取りは変わっていない。犬は変わってる。キッチンは変わってないけれど、ダイニングテーブルは変わった。南に向いた大きな窓のあるキッチンのダイニングテーブルに、7人集まってくれた。

会った瞬間によみがえる記憶。私自身、その人の名前も顔も忘れていたと思うのに、懐かしい顔を見た瞬間に映像を伴ってさまざまなことが思い出される。小さな親切、心配りをありがたく思い出す。


その上驚いたことに、みんな私のことをよく覚えていてくれている。赤ちゃんだった息子の名前まで!娘の兄(つまり私のもう一人の息子)がバイオリンがうまかったなどとも言うのだ。息子がバイオリンを弾いていたなんて、わたしだって忘れてしまいそうなのに、びっくりだ。娘の話を聞いて、彼女の活躍を喜んでいる。一緒に子育てした仲間だからね。ありがとう。







同時代に同じ場所にいたということはそれだけで奇跡だったんだと思う。それならばまた今日という日にこうして集まったということも奇跡に違いない。


同じ地球に住んでいる人間の一体何人と出会えるというのだ。だから、今まで出会った人も今出会っている人もこれから出会う人もその出会いにとても意味があると思う。





漕いでいる船は違っても、帰る港は違っても、助けたり助けられたりできなくても、お互いの航海の安全と成功を心から祈りあうことはできる。人生という旅にたくさん祈りあう仲間がいることはなんと心豊かなことであろう。



にほんブログ村 アメリカ東部情報