思春期の子どもを持つ親の役割

思春期の子どもを育てるのは難しい。
彼らは
依存しながら
自立していくからである。


そんなジレンマに親子で日々
頭を悩ませているときに


子どもはほっといても育つ。
自由にさせとくのが一番。
干渉してはいけない。
見守るだけで十分である。
環境を整えてやるだけでよい。

などの意見を聞くと、
「そうだ、その通り。
勝手にやって、失敗して、自分で気づけばよい」
とか思う。





しかし、
以前にも触れた日高敏隆先生の本に
遺伝的プログラム論 人間は遺伝か環境か?――遺伝的プログラム論 (文春新書)
面白い文章が載っている。



それは30年以上前の成城学園初等学校の話しである。

最初に、何も見せずにありの絵を描かせると
かなりユニークなありの絵になる。
多くは頭、胴体、4本足。
そこで、ガラス容器にありを一匹ずついれて
配り、「これが本当のありだよ、よく見て描いてください。」
と言っってから、描かせる。
ところが、それでもありは
頭、胴体、4本足のままだ。
そこで先生が「どうなってるかな?頭と胴体だけか?」
と質問すると、
「あ、3つに分かれてる」
「そうだろ。ありは頭と胸と腹の三つになっているんだよ。」
「じゃあ、足は何本ある?4本かい?」
「あ、6本だ」
「そうだろ。その6本はどこに生えている?」
などと、細かく先生と生徒がやりとりをしたあとに
ありの絵を描かせるとちゃんと描けたと書いてある。


そして
著者は『きっかけがなければ、子どもが自分で気づくまでの時間がかかる。
気づかずに終われば、学ぶことが少なくなってしまう。』
『親や先生はただそのために必要なのである。』
と書いている。



これは、示唆に富んだ話しである。



子どもによい環境だけ与えてほっといても
案外子どもは自分で気づいたりしにくいということだ。





かといって、
実物も見せずに先生の指示どおり描くのは、どうだろう?
まずもって無理なのではなかろうか。



では、
実物を見せて、説明して描かせるとどうだろう?
そこには、子どもの発見や気づく楽しさがなくなってしまう気がする。
そうなれば、学ぶ意欲がなくなってしまう。


やはり、共感に基づくやりとりを重ねること
これが大事だとおもう。




親は子どもに無理じいをして
コースの中を走らせるようなことは
してはいけない。


しかし、また
放任主義
荒野を走り回らせておいても
何かに気づき、成長していくわけではないらしい。


そう言えば、昔読んだ
本に(多分、立花隆の猿学だったと思う)
南米のアマゾン近くの人間で教育をしないで育てると、
語彙の非常に少ない、人間になり、
ほとんど、猿化してしまうと書いてあったっけ。



親は子どもに
考えたり、
気づいたりする「きっかけ」を
彼らの心に届く様に
与えていくことが必要なのである。



しかし、
これはとても難しいところだ。
なぜなら
思春期の子どもたちは
もう親からだけではなくて
自分自身で
いろんなところから「きっかけ」を見つけてくる。
これが、親が気づいてほしいことと
イコールであるわけはないのだ。



親は子どもがほしい気づきの「きっかけ」の
もうその限りなく小さい一部
あるいは反面教師的な「きっかけ」でしかないのだ。
このあたりが思春期の親が
イライラしてしまう原因だと思う。


でも
人間は集団で育ち、
集団で生活する社会的動物なのだから
いろんなところから「きっかけ」を見つけてくれるのは
彼らの成長にとって
とても大事なことだ。



そう考えると、
思春期の親の大事な役割は
異年齢、異性の人間、
多種多様な人間に出会う環境を潰さないことが
大事なのかもしれない。



でも、まあ、
「早う気づかんかい!」
と子どもに一方的に
「きっかけ」を無理強いしようとするのは
効果は、ないかもしれないけれど、
むしろ逆効果のほうが多いかもしれないけど
しかし、それでも親の愛情を
熱心に届けている
ともいえる。



そして、賢い子どもは案外
そのことをもうすっかり見抜いている。
それでも、彼らは親からの
「きっかけ」をその意図が見える分
受け入れたくないのである。



しかし、まあ、親とはいえ
我慢は体によくないから
変に理解ある親になるよりは
ウザがられるのを覚悟の上で
嫌がられ煙たがたれ、反抗されながらも
根気よく親としての「きっかけ」を投げかけ続けることを
してもよいと思う。


それは、彼らに旧世代の大人の枠組みを
一応教えることになるからだ。


人間というものは、
ある程度制限があった方が、
かえってその中で自由に動けるものだからだ。
そのある程度をどの程度にするかが
知恵の絞りどころである。


確実に言えるのは、
枠組みでがんじがらめは一番ダメだが、
次にダメなのは、枠組みがまったくないことだ。
この中間に答えがある。


その答えを探るのが思春期の親の醍醐味と思って
楽しんだ方がよさそうだ。



その上でネットだろうが、リアルだろうが
いろんな人と出会える場を
潰して、
変に子どもを囲い込んだりしないことが大事だとおもう。


「きっかけ」をウザがられつつ
与えることと
囲い込まないこと
この二つが思春期の親の大事な役割だと思う。




あとは、子どもを信じ、祈るだけだ。