基本的な幸福

"Happiness is inward and not outward;
and so it does not depend on what we have,
but on what we are." - Henry Van Dyke


『幸福とは外面的なものではなく
内面的なものである。
だから、我々が何を持っているかで
幸福が決まるのではなく、
我々がどのような存在(状態)であるかで
幸福がきまるのだ。』


と米国19世紀から20世紀の牧師
ヘンリー・ファン・ダイクは述べてている。


幸福が
何を持っているかで決まらないというのは、
あまり持っていない気がする自分には嬉しい定義ではあるけれども
我々がどのような状態でいられるかは
我々が何を持っているかで決まる事もあるんでは
とふと不安に思ったりもしてしまう情けない私でもある。



しかし
ヘンリー・ファン・ダイクさんよりも
説得力がある
定義をしてくれた人がいる。



その人は高校時代の倫理社会の先生である。
お名前はもう忘れてしまった。


その定義とは


「基本的な幸福とは、
ある程度健康で、
抱いてもらいたい時に
抱いてくれる人がいること」



というシンプルなものだった。


これが誰かの説なのか
先生のお考えなのか
わからない。



しかし
人生のどの段階においても
この基本的な幸福の定義は
だいたい当てはまると思う。



オッパイもらって
お腹も満足
オムツも変えてもらって
お尻もきれいなのに
どこも痛くないのに
わんわん泣いている赤ちゃんも
抱っこされてやさしく揺すられていると
泣きやむ。






幼児から児童になって
あんまり
抱っこが必要なくなっても
友達との関わり合いの中で悔しい想いをした時、
先生にいわれなく怒られてしまった時
失敗をしてしまった時
そんなこんな苦しく寂しいときに
誰かに抱っこされる子はしあわせだと思う。




そして
大人になっていくと
今度はパートナーと抱き合う。



友達でもいいけど、
パートナーがいると尚いいね。






そして
子どもができたり、
孫ができたりして
抱っこをしてやる。
あるいは
子どもがいなくても
ペットを飼ったりして
何か大切なものを
抱っこしてあげると
抱っこした自分が
また幸せになるのだ。



人生のこの辺りの
幸せは
すごい。



幸福が同心円のように
広がっている。



そうなんだ。
全くの健康でなくても
ある程度元気にしていられて
抱いてもらいたい時に
抱いてくれる人がいれば、
お金があまり無くても
仕事があまりうまくいってなくても
結構幸せだと思う。




この基本的な幸福から
発展・応用的な幸福へと向かうには




ひょっとすると、
もっと色々なもの


資産や
美貌や
名誉や
権力や
才能などが
必要なのかもしれない。





でもとりあえず
この基本的な幸福を
手にいれることができるといいね。






そして
もしそれを手にいれることができたら
その幸せが
指先からこぼれ落ちていかないように
しっかりと抱きとめよう。


自分の幸福が今ここにあることを
感謝しながら。