遅れてやってくる奴

日本の国民性として
違うもの、変わったもの
よくできすぎるものなど
ある一定の範囲に揃っていないものを
面白がることはあまりなく
それをむしろ面倒に思って、
排除したくなる性質があるのでは、
というようなことをtwitterで書いてみた。

すると
日本人は思った程集団主義的ではない
という研究があるという御返事をいただいた。

そして
環境のような外部の要因が高いものを
日本人の国民性等として
内部の特性にしたくなる傾向がある
ということが書いてあった。

なるほど、と思っている。
そして昔読んだ本を思い出した。



それにはこんなことが書いてあった。


日本のある養蜂家は、
蜂の為に花をもとめて北から南へと移動して
たくさん蜂蜜を集めていた。

あるとき、
フィリピンに旅行した。
聞くと、フィリピンは常春の国で
一年中花が咲いているという。

養蜂家はここなら、
旅をしなくても
一年中ずっと蜂蜜がとれると思った。


そこで蜂をつれてフィリピンにわたった。
一年目は大豊作。
翌年はダメになった。

なぜか、
一年中花があると知った蜂は
日本にいたときほど働かなくなったからである。

このような
熱心な働き蜂も
環境が変われば、
そうは働かなくなる。

いわんや
日本のサラリーマンをや。

という話であった。


日本人の特性というものがあっても
それは環境により確かに変わるだろう。
孟母三遷ではないが、
移動して環境を変えると
その人間もまた変わる。


確かにそうだろう。
本質はそうは変わらなくても、
いろいろと場を変えるだけで
新しい自分との出会いがある。
それも思いがけない自分との出会いだ。



しかし、
私が難しいと思うのは
環境そのものを人間が変えることである。




まず、風土(気候や地理)を変えるのは無理だし、
その上に乗っかってる
日本の社会を
良いと思われる方向へ変えることは
並み大抵ではない。



すごく難しい事だと思う。


社会の環境というのは
長い年月をかけて営々と積み重ねられたものであり、
それをたった一人で一朝一夕にひっくり返そうとしても
手痛いしっぺ返しを食う。


でもじゃあどうするの、
ずっと変わらないの
と思うかもしれないが、
私は愚かな人間を信じている
発展的楽観主義者なのだ。


いつかはきっと良い方向に変わると信じている。



そこで
私が面白いな
と思っている変化に
米国の人種の人口構成がある。



今年の大学一年生は
調べによると
4分の1が移民系であると
タイムズのネット記事に載っていた。
(他にも、今年のフレッシュマンの特徴として
筆記体が書けない。時計を持たない。eーmailをしないとあった)



選挙権を持つ人の構成が変わると
国もかわるのだな〜と思うのだ。


キング牧師が願っていたことが
政治革命とかではなくて
そういう人間の論理という部分ではなく
人口という頭と関係ない部分で変わり
実現していくと思われる。



そういう風に考えると
日本はさておき、
中国は実は大変な国ではなかろうか。
一人っ子政策
日本よりももっと急速に高齢化する。
それでも10億人の民を
今後どのように導くのか
大変難しいと想像する。



日本の変化というと、
まだ団塊の世代と言われている人たちが
生きている内はそう変化が起こらないと思う。
そこがごそっと抜けた時に
変化が起こる気がする。



気がついた時には
PCを触っていた
ネット社会があったそんな世代の人たちが
日本のあらゆるところで
活躍し、中心となった時に
変化が起こると思うのだ。



今はその大きな変化のための溜めを蓄えている時期じゃないかな。


「正しいと思われること」が現実化するには
少数のかっこいいヒーローの頭だけではなくて
たくさんの普通の人の肉体を必要とする。


そのようにして
大抵
「正しいと思われること」は
時間という叡智に晒されて
「正しいこと」になっていくのだと思う。


そしてそういう「正しいこと」などという奴ほど
常にとっても遅れてやってくるものなのだ。