自分から湧き出る泉

大きな枠組みをダバーっと一人で変えようと思っても
難しいとつい昨日の記事で書いたばかりなんだけど、
逆もまた真なり(?)で


大きな枠組みをつくっていくのも
実は一人からなんだなぁーと思う。


生きているというのは
川の流れを泳いでいるようなもので

生まれたての頃の
人生というやつは
山の清水のように純粋で
あちゃこちゃ跳ね回って
周りのことなど考えずともよく
くねくね曲がって自由奔放に流れる。
そんな小さな流れを何も考えずに
私たちはただ流されていく。

しばらくすると
小川のようになり
時には滝のように落ちてみたり
ちょっとたまって淀んでみたりしながらも
うねうねと山を下っていく。
時間もあっと言う間にすぎるし(少年老い易く!)
方向も割と自分の思うままに流れていく。
流れも速い。
瞬間瞬間の判断で
いくつかの支流と
合流していきながらやがて大きな流れとなる。



だんだんと大きくなってきたあたりから(35歳くらいか)
流れはやや緩慢となり
その分力強くなり
清濁合わせのむようになり
自分の意志だけでは
泳いでいる進路を
変えるのが難しくなってくる。


後にはもどれなくなるぐらい
いろんな物を飲み込み
大きく太く深く流れていけば(50歳すぎか)
たいていは
後はもう海に出るだけだ。



大きな枠組みという社会の構造も
生き物なので、
この人生に例えた
川の流れととても似てると思う。


中流下流の力がドバーっと押し寄せてきてると
もう一人では太刀打ちできない気がする。




じゃあ、もうぜったい大きな流れ(社会環境のようなもの)は
変えることができないか
というと、チャンスはわずかだけれどあると思う。


大きな流れもふと流れが弱るときがあり
またふと流れが淀む箇所があり
そういうところをついて
誰かがちょっと方向を変えてみれば
あ!と気づいた人がまた
一緒に流れていくということも始まれば
それはやがて大きな変化となるかもしれない。


またダムが決壊するように
不自然に大きく滞ってしまった流れは
やがて大きな圧力となり
もう破れないと思われた壁を破ったり
あるいは
その壁を飛び越えて流れていくこともあると思う。


でも
そのようなことよりも
もっと簡単なことは
実は


一人がちょろちょろと
流れ始めて
そうしてだんだんと皆を誘いながら
新しい流れをつくることではないか、
と思うのだ。


新しい流れが
時に古い大きな流れを
勢いで変えるなんてことの方が
古い流れの中にいて
それを変えようとするより
まだおきやすいと思う。





だから実は
大きな枠組みを
つくっていくのも
たった一人からほとばしる
小さな泉からなんだ
と思うのだ。



その一人は
自分かもしれない。
あなたかもしれない。



自分から湧き出る泉を
枯らさないようにしたい。


あなたの泉を
私は本当に大事にしてほしいと思う。