クアトロ・ラガッツィ

クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国

クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国

やっと読んだ。3か月くらいかかった。

16世紀、戦国時代の日本から、インドのゴアを経由して
ポルトガル、スペイン、イタリアへとわたり、
当時の教皇に謁見した4人の天正遣欧使節について
沢山の資料をもとに書かれた書物である。
16世紀という時代と世界と日本とキリスト教の信仰が
絡まり合っているところが大変面白かった。



小説ではないので、ディナーを食べるというよりは、
濃厚なトリュフを一つ、一つとつまんでいくような
そんな感覚で読んでいった。


前半は、
当時のポルトガル、スペイン、イタリアの情勢や
日本に対する記述が面白く、すいすいと読み進んでいった。
若いやんちゃな冒険家がキリスト教のために心身を捧げて
熱心に働き、日本で病院を作り、弱者を救っていたとあり、
そんな人は教科書にものっていなかったし、今まで
聞いたこともなかったのでとても驚いた。



戦国時代はいかに海外に向けてオープンな国だったのか
ということが分かり、自分の中の「日本風」の観念は
鎖国してからの江戸時代350年の間に植え込まれた
ものなのだと思った。
そういったことを小説のような作りごとではなく
歴史資料と共に示してくれて、それが生き生きと
目の前に現れてくる楽しさがあった。



ところが、後半に入り織田信長暗殺の本能寺の変あたりから
読み進むのが苦しく長くかかってしまった。

やはり、ハッピーエンディングではないことが
もうすでに分かっているので、苦しかった。




それでもキリスト教への迫害がはじまると同時に
伊勢参りが流行りだしたという指摘など
興味深い記述が随所にあった。




戦国時代や戦国武将をどのように西洋の修道士たちはみて記述しているのか
をあちこちから資料を集めて私たちに提示してくれたのは
若桑みどりさんという稀有の学者ならではのお仕事だと思った。
2007年に71歳でお亡くなりになられていると知り
残念であるとともに、大変驚いた。



なぜならこの本には、著者が60代の時に
執筆されたとは思えない若若しい精神が溢れていたからである。


自分がカトリックのはしくれであり、
その信仰についても考えさせられた。
キリストを信じるということは
どういうことであるのか、
それは近代的意味の「個人」をどうとらえるか
という問題と深く結びついていると感じた。
日本人にとっては、キリスト教に入信するということは
そういう面が否が応でもクローズアップされる。




また自分自身が海外で生活し
そのうち日本に帰国するという境遇であるから
日本人の異文化遭遇と帰国の物語としても
興味深い読みものであった。




娘がイエズス会の大学に通っていることもあって、
イエズス会という団体についても
どのような時代にどうして結成され、
どのように発展していき
どのような問題点を提示しているか
という側面からも読み応えがあった。


私が子どものころ住んでいた京都の桂から
電車で大阪よりに少し行ったところに
高槻がある。
その高槻が高山右近の領地だったと
この本を読んで初めて知った。
高槻の農民が領主が去った後も
キリスト教を団結して守って暮らしていた記述が
あり、興味深いと思った。


京都育ちなので、場所をなるべく思い浮かべながら
読んだりしていく楽しみもあった。



どの側面から読んでも、
どうも読み応えがありすぎる本である。



トリュフは少しずつ
味わいながら食べるに限る。