問いかけ

『例えばアインシュタインが途中で全てを投げ出して、詩を創ることを生き甲斐だと言い始め、それが目も当てられないほど下手糞だったら。その時、彼の人生は「勿体無い」と評価されるのか?』  



という問いかけをあるtwitterで見た。



まず思うのは
途中で全てを投げ出せない
ような宇宙(?)の仕組みになっているのではということだ。



はっきりと自分も確信しているわけではないけれど
時間
場所
環境
によって淘汰されて
いつの間にか
このようなミスマッチがおこりにくくなってくるような気がする。




源流からほとばしる水は
勢いがあり、
あっちいきこっちいき
跳ねまくり
曲がりくねり
どこに行くのかわからないのだけど
だんだんと
行く方向がさだまり
河口に近づくころには
ゆったりと
ただ流れていくだけであるのと
同じように




このように
自分の道筋のようなものは
自分の意思を超えて
いつの間にか
滔々とした流れに
身をまかすように
どんどんと
流されていくように感じる。




その流れの中では
自分でこうしようという
瞬間の判断はあっても
なかなか流れを変えたり
せきとめたりはしにくいように思うのだ。




次に「もったいない」についてだが
これもさきほどの流れを関係するわけだけど、
自分で急に流れを止めたり
流れを変えたりすることができる内は
「もったいない」ことには
ならないのではないだろうか。




もうすでに
それなりの成果をあげ
他者から評価をされ、
沢山の期待されていることを
急にやめようとするような場合は
よほど大変な変化が
身体的
精神的に
おこっていると考えられる。


そんな場合は
もはや「もったいない」
なんて言ってられないくらい
生命の危機に
瀕しているのではと私は思う。


人生は
なかなか
「もったいない」という風にならないと思う。




運命論者みたいだけど
もし
命がさらされるような病気に急になり
高い才能が途中で終わってしまうような場合も
やはり
その宿命を引き受けていくなかで
もったいなくはなくなっていくように思うんだ。




とにかく
どんどん未来へと身をまかせ流れていくしかない。



それを受容し
それを肯定し
それを楽しめたら
最高だと思うけど。