ウェストサイドストーリー


4月3日に見た。

日本からやってきた高校生男子(新3年、新1年)二人と見た。


偶然にも、その一週間ほど前にロミオとジュリエットを読み返していたので
2重に面白かった。



ロミオとジュリエットを読んだのは多分大学生の時。
その時はそんなに感じなかったけど
今回読み返して思ったのは
この作品はとってもエロチックで下品な表現とダジャレで一杯だということ。
きっとこういうのが劇場で受けたんだろうなぁって思う。
そして驚くのはジュリエットが13歳。
つまり中1でしょ!
若い、若すぎる。


そしてこのお話は
ロミオとジュリエット
春の目覚め的なお話だったんだと気づく。
大学生の時は悲恋物語として読んでいた。

ロミオがふがいないダメ男だと読み返して強く思ったけど
やはり大学生の時は
単純に純粋に愛を貫く素敵な人と思っていたように思う。
男性を見る目が肥えたんでしょうか、
それとも
見る目が老化したんでしょうか。


ロミオとジュリエットの現代版である
ウェストサイドストーリーのお話を見るのは2回目。


ウェストサイドストーリーは映画を見たことがあるのだ。
中学生の時、体育館で見た(見せられたのかな?)。

この時は喧嘩を止めようとしたはずなのに、
抗争に巻き込まれ、殺人を犯し、
自らも殺されるトニーが
可哀そうで、マリアが可哀そうで
最後のシーンで涙が止まらなくなって、
同級生にみられるのが
恥ずかしかったことを覚えている。




今回はトニーよりもベルナルドに注目してしまった。
(単にかっこよかったからかもしれないけど)
プエルトリコからやってきた移民の人たちが
いかにアメリカで生き延びてたくましくアメリカ人になろうとするか
という視点が自分の中で大きくなっていることを感じた。




女の人の方が適応しやすいとか
その女の人たちの中にも
自分の国流のやりかたにこだわる子がいるとか
男の子たちも喧嘩しないとやってられないこととか
移民の子供としてやっていくことのむずかしさと
たくましさが感じられるエピソードが沢山あった。



また
不良の白人系ジェット団の人たちがいだく
親がしっかりしていないそのことへの
いらだち、
親から見捨てられていることへの
絶望
などもよく感じられた。



つまり今回見て、
ウェストサイドストーリーは
恋愛物語のお話というよりも
恋愛を絡めた社会的なお話だと思ったのである。





恋愛については、
初恋の頃の恋に恋するような
自分にあつく恋するような
相手への恋慕。
そんな恋を思った。



一目ぼれで突っ走る恋。



打算のない純粋なもの
それが暴走して破滅へと向かう
その激しさ
そのもろさと
その愚かさが胸をつく。







私にミュージカルを見る機会を作ってくれた
高校生たちに心からありがとう。




マリアはかわいくてきれいだったね。
歌もダンスもよかったよ。



ああ
何十年振りかでウェストサイドストーリーの映画が見たくなった。

この映画に出ていたジョージチャキリスのことを
友達のおばあちゃんが「わたしな、チャッキリジョージはんにお会いしたこと
ありますねん。」と京都弁(?)で言ってたことを思い出す。

それと
ロミオとジュリエットの映画も合わせて見たいなぁ。

この映画は私が中学生の時、初めて親に連れられてではなく、友達と一緒に見た映画だ。
たしか3本立て500円だった。
あとの2本が何だったかすっかり忘れてしまった。