本当に何かを伝えたい時

何かを本当に伝えたいとき、
相手の目線にあわせて
目を見つめて
真剣に話す


このようなやり方を
誰か一人から聞いたのではなく
何人からも聞いた気がする。
記事や本で
普通に書いてある気がする。


常識といってもいいと思う。



でも、
このやり方は
相手に反対意見を言ったり、
注意したりするときには案外ダメだと思う。

この方法では、
大きな衝撃とともに相手に
伝えたいことが
大変よく伝わり、
劇的大変化を相手にもたらすことができるか
あるいは
玉砕か、
というような掛けだと思う。
かけてみる価値はあるが、
しょっちゅう使える手ではない。





相手の目を見て
真剣に話して
注意、反対意見の真意が伝わるとしたら、
相手と対話できるような
状況にあるときのみだと思う。


そのように
相手が自分の言うことに聞く耳をもってくれている
という対話の状況を作っていくことが
できれば、もう「注意・反対意見」を伝える仕事の
90%は完成していると思う。


しかし現実の世界では
大概は
相手と対話できるような状況ではなく
むしろ
相手がこちらのいうことを聞く余裕がなくなっているか
無視しようとしているような状況で
しかも
自分の前提と相手の前提が
全く違っているので、どこから手をつけるかわからないのに
自分の中の相手への許容度の限度が超えてしまった時、
そんな極限まできてから急に

その相手に
「注意・反対意見」を伝えようとしてしまう。



そして
そんな相手に
目をみて
真剣に話すと
反って反発や攻撃を食らうのが常である。
反発を食らわなくても
その後の関係が悪化したりしやすい。



まず若者はこれではついてこないと思う。


なぜなら、昔は仕事、そして社会に
連続性があり、経験が大切だったし
その経験から学べることがたくさんあったので
多少の我慢と引き換えに
年長者の経験を自分に生かすことが必要だった。
自分から見ておかしい意見であっても
素直に聞き入れ、いったんはやってみるという
態度が年長者から高く評価されたと思う。
そして年長者からの評価もまた大切だったのだ。



翻って
現在は、
個性を大切にのスローガンのもと
ナンバーワンよりオンリーワンになろうと
学校、家庭で自分というものを大事にして
育った若者である点がまず違う。
少子化で豊かに育ってきているのだ。
反対意見や苦言に傷つきやすくもある。
しかも、時代は非連続、変革の時代。
年長者からの評価より、世間での評価や
投資者の評価が大事だったりする場合もあるだろう。




また
年長者に対しても
真剣に目をみてはなすやり方をしたら
まずいと思う。



なぜなら
彼らこそ長幼序の世界でそだち
親の言うことは理屈なしに聞いてきた世代である。
そんな彼らに年下から意見(!)するのは
甚だ失礼だと思われるのである。




それで、本当に何かを伝えたいときは



相手の目を見て真剣に
というより



相手の方を向いて
さりげなく
ユーモラスに


これが正解だと思う。


できたら
こまかく
小出しに
笑いながら
注意したり
反対したり
自覚させたり
できるといいと思う。

そして、人というものは
案外
言われた内容より
言われ方で傷ついたり、反発したりするように思う。






ただし

愛の告白など良いこと伝えてもらう時は
目を見つめられて
真剣にされるとうれしい。