ゆとりの子らよ、大志を抱け!

3番目の子どもが、小学校に入学した年に「ゆとり教育」が始まった。
長男は高校入学。長女は中学に入学した年、2002年だ。


ゆとり教育」は、学校で教える内容をhow ではなくwhy重視、かつコンパクトに教え、しかしながら定着させるための演習は家庭で、そして学校では経験を重視し、創造性を高める教育であったと自分は解釈している。


いろいろな理由でこのような「ゆとり教育」が実施されたのだとおもうけれども、方向としては、そう間違っていなかったのではないか、というのが私の見解である。



中国やその他アジアの低賃金でしかも良質、そしてたくさんの労働者を有する国々と戦っていくためには、ある程度優秀な人物を大量生産するような当時までのやり方ではなくアメリカのように、500人のなかに現れる1人の天才を作る教育をしようとしたのだろう。ユニークな視点、類い稀な美的感覚、未来を見据える力、このようなものを創り出すには、なるべくやらねばならないことを少なくして、自ら考える力をつけようと「総合の時間」などの経験と知識を結びつける教育が必要だと考えたのもよく理解できる。


この教育がいろいろなところで批判されることになったのは、まず、「ゆとり教育」という名前が一人歩きして、「ゆるい教育」と受け取られたこと。そして、
定着させるための演習は自宅でさせるのだという部分の宣伝不足(批判恐れて、声高に言えなかったのではないか)。この二つは大きいとおもう。


「お上はなにもする気はない。教育は自分で責任を持ってするんだ」という覚悟がありすぎる親達と、「よくわかんないけど、ウチの子の成績悪くないし、これから学歴とかで会社にはいる時代じゃないから、ま、いっかな。」というのんきな親達に分かれた気がする。「ゆるい教育」が響いた親と、「自分が定着させるための演習をみてやる」ことに気づかなかった親とも言える。


さて、それから約10年。「ゆとり」から「脱ゆとり」に舵をきる日本。


その間に、一番下の子どもは、中学3年、2番目は大学3年になった。
1番目はもう働いている。



ここにきて、今日本は、不況による新卒就職氷河期ではなく、日本企業の生き残りをかけた構造改革による新卒就職長氷河期になる様相だ。パナソニックユニクロ三菱重工も日本で新卒を今までのように多くは取らずに、現地採用を増やすということだ。この流れは止められないだろう。企業の国際化というより、企業が成長しようとするにはもうそれしか道は残っていないのだ。


いよいよ日本でも始まってしまったと思う。ボーダレス時代のボーダレスな戦いが始まってしまった。



食糧も水も、燃料も地球にあるものは限られている。全人類が日本人と同じ様な暮らしをしようとしたら、地球が七ついるという試算がある。それくらい、日本は今豊かな国だ。しかし、それがいつまで続くのかわからない。


資源の分配がどのように行われるのか、現在の地球では、経済力によってその分配が行われているのだ。これまで日本人は個人を犠牲にしてまでも会社に尽くし、その見返りとして会社が自分達の面倒をよみようとしてくれていた。自分達はその中のよい場所へもぐりこもうと必死だった。会社や国という枠の中でお互い競い合いながら一緒に外敵と戦っていた。



しかし、もうそういう時代ではなくなった。これからは、自分をたよりに世界を相手に戦うことになる。自分の武器はなんなのか、それを手にいれて、その手入れを怠ってはならない。それは学力かもしれない。社交術かもしれない。美的感覚かもしれない。癒しを施すことかもしれない。なんでもいいから、なにかを手に自分で戦うことを忘れてはならない。でも、一人ではない。仲間を作る事はできる。友達は助けてくれるかもしれない。家族も応援してくれるだろう。世界中を相手に戦うということは、世界中で仲間をつくることができるともいえる。世界中が君たちのフィールドだ。


ゆとり教育」でそだった我が子を含む若者たちよ。

君たちを計る物差しを持っている大人はいない。
「ゆとり」とラベルを貼られても
気にすることは全くない。






既得権益者が居座ったのち、逃げ切り、自分達若者がワリを食っているという感情があるなら、怒り狂っても構わないから、しかしもう一方で「自分」を信じて、ちゃんと自分の武器を磨いておいて欲しい。いろんな仲間を作っておいて欲しい。


そして、世界中でたったひとりのオンリーワンを目指さずに、
仲間と一緒に得意な分野での
ナンバーワンを目指して欲しい。
そのほうが、具体的に動ける。
具体的に動けば、具体的に問題にぶつかる。
問題にぶつかるとは、問題を発見したということなのだ。
問題にぶつかったり、迷ったりするほうが、
何通りもの答えを探す糸口になる。
紆余曲折することをおそれてはならない。


世界標準からすると、日本は自由で平等な国だ。


アメリカ社会は、その既得権益者が代々に渡って権益が受け継がれるような上手い社会システムになっている。イギリスの階級社会より、流動性が少ないと「アメリカ社会」入門ーニューヨークに住むイギリス人コリン・ジョイスがその著書で述べている。

「アメリカ社会」入門 英国人ニューヨークに住む (生活人新書)

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アメリカンドリームはドリームで終わることがほとんどなのに、「夢を諦めるな」という文化でアメリカのシステムの欠陥を覆い隠している。アメリカの格差は日本の格差の比ではない。日本の格差は高々収入差にすぎない。
中国も然り。世界にはそのような国のほうが多いのである。



若者たちには、未来がある。その大きな未来に自分の年金がどうのと今から気にしないで欲しい。もっと大きなことを考えてほしい。


わたしたちは、日本の子どもの数が、日本国内の犬の数よりも少ない事をしっているだろうか。日本のすべての子どもの数よりも、上海の子どもの数の方が多いことを知っているだろうか。


若者は日本の宝だ。

一人一人が活躍できるように年寄りはおもいっきり応援しようではないか。

若者よ、自由に羽ばたけ!大志を抱くのだ。