Parley! Parley!

息子とパイレーツオブカリビアンの1から3まで3本続けて観た。

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド 2-Disc・スペシャル・エディション

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド 2-Disc・スペシャル・エディション

映画の中で
自分が窮地に陥った時に敵と交渉する単語として
「parley」が使われていた。
http://ejje.weblio.jp/content/parley


また
自分と敵方とほぼ同じような条件で交渉するときは
「bargain」が使われていた
http://ejje.weblio.jp/content/bargain


映画では
これらの交渉で決まった契約をベースに
話がどんどん進んでいくのであった。



この運びはアメリカが契約社会であること
その母体となる宗教が契約宗教であることを思い起こさせた。



こういう契約社会では
その契約をたえず読み直し、
解釈を新たにし、
常に更新をしていくためにも
相手に
たとえそれが神様であっても
きちんと意見を言えないといけないのである。



今年3月22日に
近くの街でトヨタ車の事故があったとき、
私はちょうど車でラジオを聞いていた。



その時に、
地元の警察が
「早くトヨタに事故を調べる人をよこせと言っているのだがまだ来ない」
トヨタは早くこないとダメだ。トヨタに対して
日本ではだれも文句をいう人はいないかもしれないが、
ここはアメリカなんだ。みな文句をいう。」
というようなことを言っていたのが印象深かった。


この事故では、運転している人が全くブレーキをかけた形跡もなくて
トヨタ車が暴走したわけでもなんでもなかったし
ただ事故を起こした人が言い掛かりをつけているだけだったんだが
警察が言っている意味はわかる。



とりあえず、文句(意見)は迅速に取り合わないといけない。
へ理屈のようなわけのわからない言い分でも
それを聞くことは大事なのだ。


そしてそれに対してちゃんとまっとうな意見を言い返すことができ、
相手を納得させることができると
その相手は
以外とあっさりと引き下がるようなことも多い。
やりあってた同士が握手したりさえするときもある。




「日本人は意見や文句を言わない」
アメリカでは認識されているんだなぁ
トヨタの事故ニュースで思った。
そして実際にそうだと思う。



アメリカに通算(断続的にですが)約8年ばかり住んでいて
謙虚な日本人ではなくなっている私でも
なかなか難しい。


文句(意見)を言うくらいまではどうにか
できるのだが、
そこから先の交渉が下手なのだ。




先日も日本人の友人と夕食をとった時に
ウエイターの人がシャンペンを抜いたときに、
私の友人にシャンペンをこぼしてしまった。
私たちはウェイターに「もっと注意深してほしい。」等と注意をした。
しかし、こぼれたのは少しだったから、まあしょうがないという気持ちだった。



そのことをアメリカ人の友人に言ったら、
「そしてあなたたちはそのシャンペン代は払った?
こんなに気分を害したから、もう払いたくないというべきだったわよ。」
というのである。





たまたま食事の話しになったけれど
一事が万事そのように進むといっていい。
多くのものについてなんでも交渉してみる価値があるのだ。



日本では考えられないもののひとつでいうと、
学校の成績ですら交渉の余地がある。
成績が渡されたあとに、
公式な成績になる前の期間があって、
「これはどうしてこんな点がついたんですか?」と
普通に聞くことができる。
そしてその答えに納得ができてもできなくても
「点をあげるために、何かできますか?
必ずするので、点をあげてください」とか
言って交渉することが可能である。
時には、「どうしても点をあげたい」
という熱意だけで条件なしにあげてくれることすらあるのだ。
子供の成績の場合は、
子供自身の交渉術のみならず
親の交渉術も関係するのだ。




日本では相手をお察しする文化が発達しているので
つい相手の気持ちや状況を察して
自分の主張をもとに交渉するのが難しい。
自分がちょっと我慢すればよいとか
次回に持ち越すことが多い。
それに
皆が皆、常に周りに対して気をつけているので
嫌なことが起こりにくいということもある。




私は日本のお察ししあう文化や
阿吽の呼吸でサービスしてもらえることを
素晴らしいし、いいなぁと思っている。


しかしそれにも落とし穴はある。
皆が少しずつ気を使って迷惑をかけないように
頑張っているから、
他人がが引き起こす面倒なことや
やっかいな状況に不寛容であることだ。
そして自分の失敗に対しても
不寛容である。


皆で思いやりを持つのは大切なことだが
でもそれが不明文化された
強制になると
なんだか息苦しく、窮屈だ。


皆で我慢大会をしているような
社会になってはいけないと思う。



それでも
このごろは
学校や教育委員会に怒鳴りこむ
モンスターペアレント
すぐ切れてお店で何かを怒鳴り散らしている
中高年の人を見かけるようになった。
(なぜか若者より中高年の方な気がする)



しかしあれは
ただ
「自分が大事に扱われていない」ということを
暴力的な言葉で訴えているだけで
交渉する態勢とまったく違っている。




私たちは日本人は
理想をいえば
お互いに思いやりながらも、
思いやりすぎない(?)ようにし、
相手や自分が引き起こす
迷惑に対して鷹揚にかまえつつ
時には正面から
意見を言ったり、言われたりして
他者とのやりとりの中で
自分が納得できる落ちどころを探すということ、
そんなことができるといいと思う。


そして
小学生時代から
交渉術を訓練してきた
百戦錬磨の世界の輩を
相手にも
負けない交渉術ぐらいは身につけたいものだ。





日常の中で
そんなに交渉ごとが少ない日本の社会では
とりあえず
手始めに
パイレーツオブカリビアンを観て、
「Parley!」「Bargain」
のやり方を参考にでもするってのは
どうかな。