読書感想文とブックリポート

読書感想文を夏休みの宿題に出す学校も多いのではないかと思う。

読書感想文と言えば
10数年ほどまえに実家を建て替えるというので
昔のアルバムや、私が書いた作文が父から送られてきて
その中に読書感想文を見つけたことがある。


「ごんぎつねを読んで」という題である。


新美南吉の「ごんぎつね」はずっと国語の教科書に
採用され続けていたようなので
お話を御存知の方が多いと思うが、
簡単に紹介しておこう。



山の中で一匹で住んでいたごんぎつねは
悪気のないいたずらもので、
ある日兵十のびくに入っていた魚やうなぎを流してしまう。
その後で、兵十の母親が亡くなり、
兵十がたった一人残されたことを知る。

きっと兵十の母親は今わの際にうなぎが食べたかったのに
違いないと思い、自分のいたずらを大変後悔し
それ以降兵十に魚を届けるが、
兵十が魚泥棒と誤解されかえって迷惑をかけてしまう。
次にごんぎつねは栗を届けるのだ。


栗をごんぎつねの贈り物としらない兵十は
神様に感謝する。
割に合わないと思いつつもまだ栗を贈り続けるごんぎつね。
そんなある日兵十は
栗を持ってきた
ごんぎつねを見つけて
いたずら狐め、と思い
鉄砲で撃ってしまう。


その時、
そばに栗が積んであるのをみて
今まで栗を届けてくれていたのは
ごんぎつねだったのかと知るのであるが、
ごんぎつねはそれにただうなずくだけで
死んでしまうのだった。




この話に
幼い自分は大層感動して
最後の場面では
泣いてしまったように記憶している。



私は自分の読書感想文に
当時の幼い自分の感動がどう表されているか
非常に興味をそそられた。

そして
送られてきた読書感想文を読み返して
仰天した。



私の作文は
「ごんぎつね、あなたは兵十がお母さんにうなぎを食べさせてあげたかったと
どうしてわかったのですか。
きつねのあなたには、おいしくうなぎをお料理する方法を知らなかったのでは
ありませんか。」
という文から始まっているのである。



そして、そこから先は
うなぎの蒲焼の作り方の説明が続き、
最後に
「人間はこんな風にして、うなぎをお料理するのです。」
と締めくくられているである。




私が先生であったなら
「この子は、この話を全く理解していない。
ごんぎつねの心情の変化などまったくわからないんだな。」
と思ってしまうだろう。



私は幼い自分が読書感想文というものが
何を書けばよいのかということを理解していなかったんだと思う。


「自分の思ったことをそのまま書いてごらん」とでも言われたのだろうか。



日本の読書感想文は、本を読んだ感想を自由に書くことになっている。
しかし、本当は大人からみて、書いてほしいポイントがあり、
それを書けなかった生徒は低い評価をされるようになっている。




実は、
アメリカにも読書感想文に相当する
「book report」というものがある。




しかしそれは自由に書くことを期待されていない。




書かなければならない要素がレポート課題として
はっきり明示されている。
そして
それにそって書かないといけないのだ。




しかも驚くべきことに生徒がたとえどんな本を読んでも、
このワンパターンに当てはめて書かなげればならないのである。





ここにフィクションのブックリポートについて
どのように指示が出されるのかを書いてみた。


(小学生から高校生まで
程度の差はあるが、
このパターンでブックリポートは書く事になっている。)


時代と場所



主人公はだれか
外見、性格



メインキャラクターの紹介
外見、性格




主人公の抱えるconflict(対立・葛藤・問題)は何か






その解決方法は何か





結果





自分はこの本が好きか嫌いか





これらのポイントをきちんとつかんでいるかどうかで
評価されるのだ。


そして小学生くらいだと
レボートの表紙に絵などもかかせる。

そしてその絵も評価の対象になるのだ。





私はこのアメリカのブックリポート方式の方が
日本の「自由に書いてもよい」読書感想文よりも
本をきちんと理解するのにとても役立つと思う。




試しに
小学生になって先の「ごんぎつね」のブックリポートを作ってみると



むかし、田舎で




ごんぎつねが主人公
一人ぼっちのきつねでいたづら好きでも本当はやさしい


兵十
人間でやさしいでもお母さんがいなくなって一人ぼっちになった




兵十がおかあさんにあげようと思ってたうなぎをとっちゃって
わるいと思ったから、兵十におわびをして
兵十と仲良しになりたい。




兵十に栗を届ける





兵十に勘違いされて殺される





悲しいけど、このお話は好き




まあ、こんなにちゃんと答えられないかもしれないけれど、
少なくとも、蒲焼についての作文にならないことは確かだ。




その上
自分がどのように主人公の心情とシンクロできるのか
を主に問う日本の読書感想文より
話をより客観的に捉えて
問題点とその解決方法の障害をよく理解させることができると思う。



このような視点を育てることの方が
人生を渡って行くには大事なのではないだろうか。