WAYを行く者

To be OLD and WISE,

you must first

have to be

YOUNG and STUPID



という落書きを見た。


そうなのだ。

我々大人もバカな愚か者だった。
どんなに賢い人でも
若い頃は愚かだったことがあると思う。


ずっと賢かったと思っている大人もいるかもしれないが、
そんな人の側にあまりよりたくないのは
きっと私だけではないはずだ。


私といえば、愚かだったというよりは、
徒に年齢を重ねて
現在完了進行形的に愚かでいると自覚している。


しかし、その愚かな自分が
その自分の愚かさを棚に上げて
何か若い世代が愚かなことをするのを
だまって見ていられない時がある。


経験上(私の場合は失敗の経験が多いのだが)
この先どうなるかということが大体わかってしまう気がするのである。
そして、それは大体において残念なことに当たっていることもあるのだ。
そうすると、益々自分の経験則を当てはめようとする傾向がでてくる。



でも、私を含めた大人たちよ。


違うのだ。
若者は愚かでいる特権がある。
彼等に小賢しいことを教えてはならない。


大人が通った道は過去の道。
若者が通っている道は現在の道。
川の流れのように
同じようでいて今流れている水と
さっき流れていた水はたとえ同じ川の同じ場所でも違う。
故人の教えの通りである。


大人は自分が通った道をよく知っている。
そしてその様々な経験の蓄積から
こうするとこうなるという
智慧を授かる。
それが無意識まで沈潜すれば
カンにすらなる。


それらを子供に伝授してもよいが、
彼らが大人の智慧を必要としなくなった時、
言うことを聞かなくなった時に
「どうしてそんなバカなことをするのか」
と思うのは間違っている。




子供が道を通るとき、
彼らは初めてその道を知るのだ。



彼らもまた自分で通って転んだり、滑ったりしてみないと
彼らはその道を学ぶことにならない。
だから、愚かに失敗することに価値があるのだ。
若いとはそういうことだ。




英語では「道」に当たる単語がいくつかある。
代表的なものをあげてみる。

roadこれは、県道のようなイメージの単語だ。
町と町をつなぐ道。

streetこれは、市街地を通る道のイメージだ。
両脇にビルなどが立っている道。


wayこれは、自分で切り開く道だ。
瞠るかす地平線へとあるいは荒野へとあるいは険しい山へと
曲がりくねりながらまたはまっすぐに伸びる道だ。


大人が用意して整備されたような道もある。
ボーリングのレーンのような障害のない道。
それをcourseという。




courseを進むのものがいてもよいが
荒野を目指しwayを進もうとするものに
自分の経験を語って、
道を阻んではならない。




wayの半ばで倒れている若者がいたら
手当をしてやり、
「自分もこうして倒れて、
誰かに助けてもらったことがある。
私のことを気にせずに君の道をまた進め。」
とyoung & stupidな若者を介抱する

そんな人にもしなれたなら
私はもしかして
old & wise になれたということかもしれない。