遅れてやってくる奴

日本の国民性として
違うもの、変わったもの
よくできすぎるものなど
ある一定の範囲に揃っていないものを
面白がることはあまりなく
それをむしろ面倒に思って、
排除したくなる性質があるのでは、
というようなことをtwitterで書いてみた。

すると
日本人は思った程集団主義的ではない
という研究があるという御返事をいただいた。

そして
環境のような外部の要因が高いものを
日本人の国民性等として
内部の特性にしたくなる傾向がある
ということが書いてあった。

なるほど、と思っている。
そして昔読んだ本を思い出した。



それにはこんなことが書いてあった。


日本のある養蜂家は、
蜂の為に花をもとめて北から南へと移動して
たくさん蜂蜜を集めていた。

あるとき、
フィリピンに旅行した。
聞くと、フィリピンは常春の国で
一年中花が咲いているという。

養蜂家はここなら、
旅をしなくても
一年中ずっと蜂蜜がとれると思った。


そこで蜂をつれてフィリピンにわたった。
一年目は大豊作。
翌年はダメになった。

なぜか、
一年中花があると知った蜂は
日本にいたときほど働かなくなったからである。

このような
熱心な働き蜂も
環境が変われば、
そうは働かなくなる。

いわんや
日本のサラリーマンをや。

という話であった。


日本人の特性というものがあっても
それは環境により確かに変わるだろう。
孟母三遷ではないが、
移動して環境を変えると
その人間もまた変わる。


確かにそうだろう。
本質はそうは変わらなくても、
いろいろと場を変えるだけで
新しい自分との出会いがある。
それも思いがけない自分との出会いだ。



しかし、
私が難しいと思うのは
環境そのものを人間が変えることである。




まず、風土(気候や地理)を変えるのは無理だし、
その上に乗っかってる
日本の社会を
良いと思われる方向へ変えることは
並み大抵ではない。



すごく難しい事だと思う。


社会の環境というのは
長い年月をかけて営々と積み重ねられたものであり、
それをたった一人で一朝一夕にひっくり返そうとしても
手痛いしっぺ返しを食う。


でもじゃあどうするの、
ずっと変わらないの
と思うかもしれないが、
私は愚かな人間を信じている
発展的楽観主義者なのだ。


いつかはきっと良い方向に変わると信じている。



そこで
私が面白いな
と思っている変化に
米国の人種の人口構成がある。



今年の大学一年生は
調べによると
4分の1が移民系であると
タイムズのネット記事に載っていた。
(他にも、今年のフレッシュマンの特徴として
筆記体が書けない。時計を持たない。eーmailをしないとあった)



選挙権を持つ人の構成が変わると
国もかわるのだな〜と思うのだ。


キング牧師が願っていたことが
政治革命とかではなくて
そういう人間の論理という部分ではなく
人口という頭と関係ない部分で変わり
実現していくと思われる。



そういう風に考えると
日本はさておき、
中国は実は大変な国ではなかろうか。
一人っ子政策
日本よりももっと急速に高齢化する。
それでも10億人の民を
今後どのように導くのか
大変難しいと想像する。



日本の変化というと、
まだ団塊の世代と言われている人たちが
生きている内はそう変化が起こらないと思う。
そこがごそっと抜けた時に
変化が起こる気がする。



気がついた時には
PCを触っていた
ネット社会があったそんな世代の人たちが
日本のあらゆるところで
活躍し、中心となった時に
変化が起こると思うのだ。



今はその大きな変化のための溜めを蓄えている時期じゃないかな。


「正しいと思われること」が現実化するには
少数のかっこいいヒーローの頭だけではなくて
たくさんの普通の人の肉体を必要とする。


そのようにして
大抵
「正しいと思われること」は
時間という叡智に晒されて
「正しいこと」になっていくのだと思う。


そしてそういう「正しいこと」などという奴ほど
常にとっても遅れてやってくるものなのだ。

わたしの9.11

9年前の今日起こったことを書いてみようとおもう。


9年前の9月11日、私はニューヨーク州に住んでいた。

9年前も、今日のようなこんな快晴だった。


夫はマンハッタンのミッドタウンにオフィスがあった。
家族全員が初めてのNYの地に降り立ってから、5年がたっていた。
小学4年と小学1年で連れてきた子供はそれぞれ中学3年、小学6年になっていた。
2人ともニューヨーク日本人学校に通学していた。
3番目の10ヶ月で連れてきた次男が地元の現地小学校に入学したばかりだった。




私は周りの駐在員の優雅な暮らしとは程遠く、
3人の送迎(これがアメリカにおける母の一番大事な仕事)に明け暮れ
長子と末子の9歳という年齢差からくる様々な障害のやりくりに明け暮れ
それでもこの子たちを健全に育てるということに喜びと
使命を感じて暮らしたいた。



長い夏休みが終わり、9月にミッドランドスクールという
地元の小学校に入学した次男が
9月11日は初めての午后まで学校にいるという日だった。


それは私にとって久々のまとまった自分だけに使える時間があることを意味していた。
私は次男を送ったあと、爽やかな9月の風に誘われて
この日、子供が生まれて以来初めてのウォーキングにでかけた。
近所のビーチの近くを気持ちよく歩いた。
ロングアイランドサウンドから遠くに豆粒よりも小さくマンハッタンらしきものが見えた。
あんなに遠くまで見通せるのは珍しい。
あそこで夫が働いている、そんなことを思った。




良い汗をかいて、自宅に戻ると
留守番電話にたくさんのメッセージが入っている。
全て日本からで「大丈夫か?」という内容。


私は訳もわからずテレビをつけた。




ちょうどワールドトレードセンターに2機目が突入するところだった。


「一体これは何だろう」



オサマ・ビンラディンの顔が何度も大写しになる。



テレビでは人がビルから落ちていくのが映されている。




「大変だ!」


すぐに夫に電話をした。
「大丈夫。なんともない。煙が見える。今日は帰ることができるかわからないけれど、なんとかなる」



次に日本人学校に連絡。
「課外授業でマンハッタンに向かっているバスに連絡がとれない。マンハッタンに入っていたら
橋が封鎖されているので、(マンハッタンは中州)いつ帰ってこれるか見当がつかない。
学校の電話に問い合わせが殺到するといけないので、窓口を決めてほしい。
他の保護者にはPTAの連絡で情報を流す」という事になった。




次男の学校にお迎えに行ったときには
地元の消防士さんや警察官のお父さん、
町の有力者が学校に集まって情報を収集しつつ
できることを考えているということを聞いた。




日本人学校から連絡があった。
息子のバスは橋の手前で引き返しているが凄い渋滞でいつ学校に帰るかわからない。
無事は確認ということだった。
携帯電話は繋がらなくなっていた。



娘は普通どおり学校から帰ってきた。
でも娘のクラスメイトのお父さんが行方不明になっていた。
それを知らずに遊んでいたことが娘にはショックだったようだ。




夕方遅くになって学校についたというバスの連絡を聞いて
学校に長男を迎えにいった。


息子は疲れていた。
そのバスにはボランティアとしてお母さんが一人乗っていらした。
そのご主人がワールドトレードセンタービルに勤務されていた。
最初、橋がテロで封鎖されているという段階ではよくわからなかったようだが、
どうも大変なことが起こっているらしいということでラジオのニュースを息子は
通訳するような形になった。
そして
ワールドトレードセンターに飛行機が突入して
ビルが瓦解しているということを報せると
そのお母さんは真っ青になった。
その傍で中学3年の彼女の息子さんが大丈夫だよ、と励ましていたと聞く。
バスからはどこにも連絡が取れなかった。
重苦しい空気のまま学校まで到着。
そこで初めてのご主人の無事が確認された。
みんなが歓声をあげた。



家のある通りの角の大きな家がその日引越しをしていた。
荷物が次次に搬入されている。
お母さんが赤ちゃんを抱っこしてそれに指示を出している。
私が挨拶をすると子供が5人いて手狭になったので引越してきた、
本当は学校が始まる前に越してきたかったのだけれども、でも今日で良かった
と言われた。


私が「なぜ」と聞くと、
実は夫がワールドトレードセンター勤務なんだ、という。
彼女はナニーさんから御手伝いさんまで沢山人手があるので
夫は今日は会議があるから仕事に行くと言ってたんだけれど
昨晩遅くに3ヶ月の双子の赤ちゃんが発熱し
今朝になってもひかないので、ご主人に今日は家にいて欲しいと頼んだそうだ。
そしてご主人は今家にいるのだけれど、
会社の同僚の誰一人とも連絡がとれないという。彼女のご主人は助かった。
しかし、この後、ご主人は同僚のお葬式に何度も何度も出ることになり、
その精神的苦痛は大変そうだった。





後でこのような子供に助けられた話は沢山聞いた。
子供の学校が始まったばかりなので
子供がぐずって学校にいかないから今日は特別夫に連れて行ってもらったので
助かった、など。




ニュースでは朝ワールドトレードセンターにいた水泳のイアンソープ選手が
ホテルにカメラを取りにいったので助かったと報道していた。
生き死にの不思議の綾。



携帯電話で「LOVE YOU」を最後に連絡をくれて
亡くなってしまった人の話も沢山聞いた。









次男の学校で
ブッシュ大統領の奥さんの署名のあるプリントが配られた。

「責任のある大人が一生懸命解決にむけて頑張っているのを信じてほしい。
パニックになったりしてはいけない。
憶測で話をしてはいけない。
でどころのはっきりしない事を信じてはいけない。」



正確には覚えていないけれどこういう文面のプリントが配られて
先生から説明があった。



それまで何となく頼りない坊ちゃんという感じのブッシュ大統領
案外うまく事態をコントロールしている、という感想が周りのアメリカ人からも聞かれた。



ジュリアーニ市長は
すぐに現場に到着し陣頭指揮をとっていた。
本当にその姿には「責任のある大人ががんばっている」
事態を収拾しようとしている思いが伝わってきた。




何人もの消防士さんが人助けをして亡くなった。
正義感が強く義理堅いと言われるアイリッシュ系の人が
多いとされる消防士さんに敬意を表する。




しばらくしてジュリアーニ市長は
ラジオやテレビで繰り返し、
「マンハッタンを助けようと思えば
 シティに来て買い物をしてほしい。」と何度も言っていた。




私は東京でこのようなことがあったら、
逆に買い物に来るなとか言いそうなのに、
さすがに
資本主義のNYシティだと驚いた。



私が驚いたことは他にもあった。


それは
現地校に迎えにいったりして、
かなり親しくなった人も
「被害はなかったか?」など
9.11関連の話はしないことだった。
みんな当たり障りのない話をする。



日本人学校のお迎えは逆で
「どこそこの何々さんが今すごく苦労されているらしい。」など
話していた。



私はアメリカ人は何か冷たいのかな、などと思っていたけれど
いろんなこと(行方不明者が死亡者になったりする)がわかる頃には
アメリカ人の態度が深くプライバシーを尊重し
配慮してると思うようになっていった。



もう一つ
驚いたのは
日本の新聞の書き方があまりにも
センセーショナルで
あたかもこの世の終わりのような書き出しであったことだ。
大きな写真。悲観的な憶測で満ちていた。
NYタイムズはそうではなかったので
その違いに本当に驚いた。




星条旗をたててる家がたくさんあった。
それにも驚いた。
みんな一つになろうという感じがあった。
Stand together
というような言葉がささやかれた。




9.11事件がおこってすぐ


私は直観的に
「これは歴史的にみると、
きっとアメリカ中心の世界からの
転換を意味する事件になる。
化石燃料中心のエネルギーからの転換。
消費社会の転換を意味する事件になる。」
と思った。




ハーレムに住んでいるアメリカの中での貧しい人と
アフガニスタンに住んでいる普通の人
どちらがたくさんのエネルギーを消費しているのか
ぜったいにハーレムに住んでいる貧しい人たちだ、と思ったからだ。


この地球的規模でみた不均衡が
こんな形で現れたのではないか、と思った。
タワーの倒壊はバベルの塔の倒壊を思わせた。



そんなことを考えながらも私たちは
帰国の準備に追われていた。



2002年に早々に帰国が決まっていたからだ。
帰国の直前のクリスマスに
家族でグランドゼロに行った。
何もなかったけど、行った。
地獄まで0マイルという標識がたっていた。







あれから9年たって
確かに時代は変わった。
アンドロイドもブラックベリー
フェイスブックツィッターもなかった9年前。
中国がこんなに強くはなかった。
黒人の大統領がこんなに早く登場する気配はなかった。
アフガニスタン紛争がまだ続いてるとか思わなかった。




世界はどこに向かうのだろう。
人口がどんどん増えて100億時代をむかえようとする現代、
9.11から学べることなんだろう。


戦争とはなんだろう。
平和とはなんだろう。
豊かであるとはなんだろう。



妄信的排他的にならずに
それでも自分の頭で
考えていこうと思う。



9年前の9月11日

あの日に思ったことを
今日また
もう一度思い出し
もう一度考えみようと思う。

自分をかけてアホな意見でも言おう

下の息子がPCを見ながら
「なんか、日本人の意見って極端なのが多いな。」
と言う。




ずーっと我慢して決死の覚悟の「一揆

あるいは、

黙って見ていていきなりの「この葵のご紋が目に入らぬかぁ!」


このようなアプローチが日本では多いのではないだろうか。


だから
その意見も
「壊してしまえ」
または
「言うことを聞け」
と極端に走っちゃうのではないかな。




日本人は「場」をとても大事にするので
最後の最後までどうにか今の状態を保とうと
丸く納めようとする力が強く働く。


この段階で「議論」にはならない。
この段階では「空気を読む」ことが重視される。


そしてその場を丸く納める力がぎりぎりまで働いて
その結界を超えると、


いきなり
お上に反抗する「一揆」的行動にはしるように思われる。



またお上側からは、
急に「これに従え」という0トレランス型の指導になりやすい。



このぎりぎりまで働く丸く納めようとするときに重視される
「空気を読む」力は
「自分」を限りなく無くす方向に働く。


「空気を読む」力は
いろんな要素を把握し、全体の流れを探る方向に働く。



そこにはあまり論理的思考はない。



なぜなら客観的にみているだけでは
「自分」から発する責任が伴わないので
深い論議にならないからだ。


似たようなことを前に書いた。http://d.hatena.ne.jp/oba3inUS/20100426/1272244702
議論をしていくことは、日本人には面倒くさいことなのだ。


でも
「自分」をかけて色々と説得したり
妥協したり、主張したりしていく過程で
論理に磨きがかかる。

そのように磨きがかかった意見と意見をぶつけると
あらゆる盲点、弱点もあぶりだされて
結局一番よい「意見」を選ぶことができる。



一方
「自分」から発する責任をとらずに
全体の流れを探り、
その流れに乗るだけではなく、
その流れを自分の方向に変えたいと思う時、
一番手っ取り早いのは
実は感情に訴えることだと思う。




感情は
頭脳というより本能に訴えるので
それだけインパクトが強い。


よって感情を利用すると全体の流れが
情緒によって一気に変わり、
しかも奔流する時がある。


そこへ引っ張って行った力は
論理的に磨かれた判断ではなく
感情を元にした奔流である。


日本のマスコミはこれが得意だと思う。




このような感情の奔流には
リーダーもいないし、
責任もない。





この奔流に飲み込まれない一番良い方法は
「場」を丸く納めようとしないで
「自分」をかけて
なにかしら意見を言っていくことだと思う。



恥ずかしい意見でも
浅い知識を露呈するような考えでも
失礼な言い方になっても
自分をかけてアホな意見でも言おう。
このブログだって正しくそういう事だ。


でもさ、そこから
全てが始まると思うんだ。

人生の最後まで好きなことをして生きるために

日本の受験塾の説明会などで
MARCH以上でないと今就職は厳しそうだ
という大学生の現状を聞いたりすることがあった。


それは私がまだ日本にいた2年前の話しなので、
リーマンショック直前のことである。

今はどういういわれ方をしているのか
知らない。



当時はそのような 話を聞いて
「大変!うちの子は是非MARCH以上の大学に入れなきゃ。
そのためには何々?中高一貫校に入れた方が有利なのね。
ということは、中学受験だわ。」
あるいは
「MARCH以上の大学に沢山合格者を出している高校にいれなくては。。』
と思った保護者が少なからずいたと思う。


しかし、
それは実に恐ろしいことだったと思う。


何が恐ろしいかというと、
大人の判断としてそのような事を
大人が認識してもよいかもしれないが、
そんなことを
親から聞かされる中学生になるかなったかならないかの
少年少女がそういう単純な考えを
を信じきってしまうのが恐ろしい。


彼等に
「〜でなければ〜できない」
というパターンで思考してほしくない。


「〜までに〜をしなくては、もう間に合わない」
「〜するには〜が不可欠」
とかもどうかと思う。


こういう論調の中には確かに
事実も含まれていると思う。



でも
何がどうなるか
そんなことみんなわかってたら
リーマンショックだって起きなかったし
この不景気だってすぐに脱却できるはず。


我々人間はまずは
生きてる内は変化する。
死んでから
体重が減ったり、
身長が伸びたり、
趣味が変わったり
恋をしたりできない。


生きていると
いろんな要素をはらんでいる自分が
いろんな要素をはらんでいる生物と出会い、
そこでケミストリーが起こって
自分も環境も変化していくのだ。


変わらないものはない。


15年前の今日、
ちょうどWindows95が発売された
とニュースで言っている。


それから15年たって
今年のアメリカの大学新入生は
eーmailをしない
腕時計を持たない
筆記体を使わない
と話題になっている。
だれが15年前に3歳だった彼等が
eーmailを使わないで
フェイスブックやテキストメッセージや
ツイッターでコミュニケイションをすると予想したであろうか。



今の中学1年生が大学卒業して
会社に勤めようとするまでに、10年。


今の高校一年生が大学卒業して
会社に勤めようとするまでに、7年もかかる。


その間にどんな社会変化が起こるのか
わからないじゃないか。



そんな未来を生きる子供達に
「〜でないと〜できない」
という発想を植え付けてどんな子供を育てようとするつもりか。




そんなことよりも
わからない世の中だけど


自分の肉体と
今ある時間を有効に使うと
その先に面白い事が起こるかもしれない。


自分がどうしてもやりたい事を
後回しにしないで
やりたい事を先にやってしまって(!)


尚且つ
やんなきゃいけないこともやれるように
するには
どうしたらいいんだろう

または


ある時間内に
やりたい事とやらなきゃいけない事を
ちゃんと両方ともやりきるにはどうしたらいいんだろう


そういう知恵が絞れる子供を沢山作った方が
日本も地球も先がある。


大林監督が何かのエッセイで
こんな文章を書かれていた。

袋に色々な種類の豆が入っているのを見て、
先生が
「君は好きな方を先に食べる?
それとも嫌いな方を食べて好きな方を残すほうかい?」
と聞かれ、
『嫌いな物を先に食べる』のが正解かと
思いながら
「好きな方を先に食べます。」と答えた。
すると先生が
「そうだね、そうすると、最後まで好きな方を食べることができるね」
と言われたそうだ。


私は思う。
「〜でないと〜できない」と
脅して好きなことを後回しにし、あるいは禁止して
いつも好きじゃない方を先に食べさせるようなことをしていては
人生の最後まで『好きじゃないこと先にする』人間になってしまう。
そして人生の最後なんていつくるか、
だれにもわからないじゃないか。



一度きりの人生。
自分が目をつぶれば、
世界は消えるのだ。

目を見開いて
挑んでみよう。




自分が世の中を渡っていくには、素手では厳しい。
しかし
世の中で勝負できる術を10歳から25歳位の間で
必死に身につけようと2年間くらい歯を食いしばって
頑張れば、
きっと生きていける。


2年以上頑張れば、
「成功」することだってできるかもしれない。


それは所謂「勉強」じゃないかもしれない。
「遊び」の中にあるかもしれない。


だって、今の日本の文化で世界で脚光を浴びているものを見よ。
「ANIME」「MANGA」「GAME」
これらが日本の立て役者になるって
40年前に子供だった私は思わない。
でもみんな大好きだった。
日本の子供達が
やめられないくらい好きなものが
今になって世界へと花開いたんだ。


子供達よ
頑張るものは
なんでもいい。
やりたい事をバンバンやってくれ。
そして
これで世の中を渡ってやる!と思ったら
頭か体かまたその両方を必死で使ってほしい。


大人達よ
子供達を信じて
未来を信じていこう。
時には苦言をいいながら
それでも信じていこう。
そう、子供達が幸せになるために、
子供達が
今もそして人生の最後まで好きなことをして生きるために。

Dad, say sorry say It's all my fault.

親しくしている友達のお父さんの話。

彼女のお父さんはイタリア移民で
NYPD(ニューヨークポリスデパートメントの略)だった。
彼女のお母さんは17歳のとき
スウェーデンからやってきて、18歳でお父さんと出会って
19歳で結婚した。

2人は彼女を頭に4人の子供に恵まれた。


彼女はお母さん譲りのプラチナブロンドで青い目をしている。
子供二人は今年大学卒業をしてもう働きだした。
早期退職をしたご主人とゆったりと暮らしている。


彼女の下に弟が2人、妹が1人。


妹さんはこの近くに住んでいる。
弁護士のご主人と小学生の子供2人、
会社勤めをしながら今所帯盛りで忙しい時期だ。


一番下の弟さんはお父さんがNYPDを退職したあと、
警護員として再就職した先の
ラスベガスにうまくなじめずに
またどこか弱いところがあって
ドラッグ中毒になってしまった。


静脈にもう針が刺さらないくらいになった。
死線を何回もさまよったが
リハビリをして更正し、
今は両親の住むラスベガスで
両親の家のすぐそばに住み、
時には年老いた両親を助けながら
一人で暮らしている。



彼女のすぐ下弟さんは
お父さんの後を継ぐような形で
NYPDに勤めている。
ちょっと変わったところのある弟さんだったけれど
ルーマニアの女性と結婚したあたりから
両親との関係がぎくしゃくしだした。


このルーマニア女性がどうも強者で
お父さんが痔疾で苦しんでいるときに
木の枝をお尻にさすと治ると力説し
木の枝を渡してお父さんに強要、
お父さんは半分疑いつつ、半分信じて
木の枝をお尻につっこみ
大出血して気絶したそう(実話なところがすごいけど)
なんだけど、
お父さんにつっこみ方が悪かったと言ったらしい。


また子供の教育もすさまじく
ホームデポ(大型ホームセンター)の駐車場で
4歳の女の子にパンツをぬがせて
隣の車のタイヤにおしっこをかけさせたのを
お母さんが目撃し、注意したら
ルーマニアでは普通のことよ」(多分嘘)
と言ってのけたらしい。


そんなこんなにはじまって
NYPDの息子さんもだんだんと
彼女のペースにはまり
理由をつけて
両親に会いいくことを拒み
手紙や電話もなくなった。


お父さんとお母さんの金婚式に
招待状を送ってもなしのつぶて。



しかし、お父さんはお孫さんのお誕生日には
お祝いのお金を送り続けた。
でも一言もお礼も
うけとったの電話もなく
今まできたそうだ。



お父さんは9月に痛風結節切除の手術を
受けることになった。
89歳のお父さんは
手術を前にすこし弱気になり、
9月のレイバーデイホリデイ(休日)に
子供と孫全員に会いたくなった。



子供たち全員を招いたけれど
今回も弟さんからは返事がない。


悲しむお父さんに心を痛めた友人は
意を決してお父さんに電話をした。

そしてこう言った。

"Dad,
Listen.
Call David.
Say ' I am sorry. It is all my fault. Please forgive me.'

We sometimes need to say 'sorry' for nothing.
Dad, really for NOTHING!"

「お父さん、聞いて。デヴィッドに電話をかけて
『ごめんなさい。全部俺が悪かった。許してくれ』と言うのよ。
時々、何にも悪くないのに、謝る必要があることもあるのよ。
お父さん、ほんとうに何にも悪くないのによ。」


お父さんは警察官で頑固で正直な人だったから
「わしがどうしてそんなことをせなならん。いやじゃ」
と言った。



"Dad. Think about it. If you say that, you are going to lose what?
You will only lose your pride.
Think what you might get when you say that.
You might get the relation back again with your beloved son.
Sometimes,
we have to be brave to say'I am sorry.'for NOTHING.
We need to be brave enough to forgive ."


「お父さん、考えてみて。
謝って、失うものは何?
プライドを失うだけよ。
謝ったら何が手に入るか考えてみて、
ひょっとしたら
愛する息子とのよい関係を
もう一度手に入れるかもしれない。
時には、『ごめんね』という勇気を持たなきゃいけない。
許す勇気を持たなきゃいけない。」



そしてお父さんに弟さんに今すぐ電話をかけて、
謝ったら、すぐにもう一度今度は彼女に電話をするようにと言った。


そして電話を切った。


ところが一分もしないうちに電話がなった。


「電話番号が古くてかからん。」


彼女は弟さんの新しい電話番号を教えた。
祈るようにして、お父さんからの電話をまった。
しかし電話がかかってこない。
20分たった。


しびれを切らした彼女はお父さんに電話をした。
話し中。



しばらくして今度はお父さんから電話があった。

「わしゃ、あやまったよ。
全部わしが悪かったって言った。
心配せんでいい。全部はわしがわるかったんじゃ。
いままでつらい思いをさせて悪かったって言った。
すまなかった。
ゆるしてくれと言った。

そしたら、デイヴィッドが
「父さん、悪かったのは僕だ。
本当にごめんよ。」と言ったんだ。



そしてお互いに声が出なくなった。


デイヴィッドの泣き声が聞こえてきた。


わしも涙が止まらなくなった。
受話器を握りしめて
しばらくお互いに泣いていた。



デイヴィッドは今度のレイバーデイには
なるべく家族をつれてきたいけれど、
無理なら一人でわしに会いにきてくれると
言った。

本当にデイヴィッドがこれるかわからんが、
それでもわしは今日
息子と本当の会話ができてうれしかった。」







気がつけば彼女もお父さんからの電話で泣いていたそうだ。



アメリカ人はよく謝らないという。
アメリカ人はよく自己主張をするという。
アメリカ人はよく自分に正直でごまかしたりしないという。



警官をしながら苦労して子供を4人育てた移民のお父さん。
頑固でがんばってきたお父さん。
曲がったことが大嫌いなお父さん。
そのお父さんが思い切って
心をこめて言った『I am sorry』に
どんな思いが込められていたのだろう。



長い人生の中で
時には
自分に非がないと思っても
謝ってみる勇気が必要な時がある。


それで失う物と
それで得られる物を
考えてみよう。


妥協とか
口先ではない
『ごめんなさい』を
たとえ自分に非がなくても
言わねばならない時もある。

相手に通じないかもしれないけれど
そうして『ごめんなさい』と言いながら
相手を許さねばならない時があるのだ。

アメリカというゲーム

米国とは・・・・

とは言い切れない。


何故なら、


貧富の差
人種の多様性
広大な土地(日本の約30倍)柄
が’半端ないからだ。


都会と田舎でも違う。



例をあげよう。
今私が住んでいる米国で有数の裕福なコミュニテイ、
グリニッチという小さな町(人口約6万)の中ですら
日本では考えられないような格差が存在する。




私が住んでいる所から先が(我が家は入ってない)
超高級御屋敷街になる。



ここから先は
大きな木が生え茂り、
門から自宅の建物が
かろうじて見えるお家とまったく見えない家がある。


バスケットコートがある家もあり
照明つきテニスコートがある家もある。
木立の間から
きれいなプール、その脇に立つプールハウス(これが東京の3LDKの家くらいある)
プールハウスのテラスに外用暖炉がゆっくり燃えているのが
通りを運転しているとふと見えたりするのだ。


息子の友達は家の中に25メートル温水プールがある家に
真冬にプールパーティによばれたりしたこともある。
湖が敷地内にあり、アイススケートやボートで遊べる家もある。
それが何軒も続いていたりする、というかその辺り一帯がそんな感じだ。


しかし
我が家の通りはかわいい3ベッドルーム位のお家が
並んでいる。


またもう少し駅よりに行くと、
高級コンドミニアムもあるけれど
一軒を2つにわったような家も出てくる。



そして一歩グリニッチから離れ
隣町に出てしまうと、
今度はヒスパニック系・黒人の街になる。
家だけではなく、道路も凸凹だったりする。


この通り一つ隔ててガラリと変わる感じは
日本には中々ないと思う。


近所ですらこんなに差がある。

ましてや米国の中を想像してほしい。

とうもろこし畑が延々と続く田舎
摩天楼そびえる大都会
全米の中には
サボテンだけの砂漠もあれば、
ロッキー山脈もあり
五大湖もあれば
オーロラの見えるアラスカ
ワニが庭にでるフロリダ
ハワイまである。

NYとLAは東京からインドのボンベイ位の距離。
時差も3時間。
もう本当に様々な土地柄なのだ。


また人種にしたって
本当に様々だ。

白人と一言でいったって
東欧・ロシア系から
アングロサクソン
イタリア・アイルランド
フランス・スペイン等ラテン系といるし
そんなのもうわかんないくらい混血しちゃったりもしてる。


黒人だって
何代もアメリカにいる人も入れば
アフリカ・中南米・太平洋の島から渡って来た人もいるし
でももうすごくいろんな人種と混血してる人が多い。


またヒスパニックと一言でいうけれど
あの大きな北米と同じくらい大きな南米に
沢山ある国々では違うのだ。
パラグアイ、チリ、ボリビア、コロンビアと
違う国なのだ。
ベルー料理とブラジル料理は違う。


丁度アジア系と言ったって
ベトナム、中国、タイ、韓国と日本は違うし、
タイ料理と日本料理が違うのと
おんなじ位違うのだ。



とにかく
人種だって様様なんだ。






宗教なんてすごい。
ユダヤ教キリスト教イスラム教とこの3つの中ですら
戒律が厳しいものから自由なものまで
実にたくさんの宗派がある。
他にも仏教、モルモン教、クリスチャンサイエンス、
ニューエイジカバラ等ある。
つい最近ジュリア・ロバーツという女優さんが
ヒンドゥー教に改宗したと話題になったりもした。
そして今ラマダンらしく
そんなtweettwitterで多く呟かれたりしているアメリカなのだ。
アメリカでは
そんなに宗教頑張ってるのかと思いきや
案外non-believerもいたりするのだ。

宗教も凄く様々なのだ。


このように
土地柄
人種
宗教
全て日本では想像できにくいくらい
多様性がある。


だから、全米で流行とかいっても日本のような密度の濃さと同一性はない。
それこそ「全米が泣いた」とかあんまりあり得ない話だ。



こんなに多様なので
相手を御察ししたり、御察ししてもらったりするような
同じ文化に立脚して何かを解決方法を探っていこうとするようなやり方は
もうはっきり無理といってもいい。



色々な人がいる
アメリカでは
はっきりとわかり易いルールを決めて
この中でやりましょう、というのがよい。



ルールさえ守れば
あとはどうなっているのか気にすることもないし、
気にされないし、
気にしたって始まらない。



このあたりが
日本から来たばかりだと
戸惑うところだ。



しかし一旦慣れると、楽な面も多い。
多少おかしくても大目にみてもらえる。
これが大きい。プレッシャーが少ない。
こっちも迷惑許容度がアップして
これくらいで目くじらたてちゃいかんなぁ
となる。




それに
ルールそのものも
交渉可能だったりもするのだ。



アメリカという国に来るということは
つまり
ルールを守ってアメリカというゲームに参加
するという感覚に近い。



カードゲームに例えると
手持ちの札が多く強い程勝ち易い。
しかし手持ち札が弱く少なくても
チャンスは巡ってくると信じられている。




また負けようが
勝とうが、
同じゲームに参加してる面白さは
やる気があれば味わえる。



これがアメリカという国だと思う。



アメリカ人の中には
本気でこんな風に思ってる人がいるのではないだろうか。



「なぜ我々のルールを世界で採用しないんだろう?
隣はカトリックの家族、向かいはユダヤ人、そのまた隣はアラブ系だけど
ケンカも起きないぜ。なぜ戦争とかしてるんだ。
欠陥はあるけど、このルールでゲームするのは楽しいぜ。」




そして
アメリカは
このゲームをグローバリゼイションの名の下に
世界中に広め、ルールはこうだと押し付けようとしているようにも見える。




米国はその内部にとてつもない多様性を内包しいるから、
そのことがかえって仇になり、
米国以外の国を理解することができにくいという矛盾を抱えている。
だからゲームに参加したくない国のことがわからないので
迷惑がられているとか、
ことはそんなに単純にはいかないとか
そういったことがわかりにくいと思う。





駐在員であれ、留学生であれ、
移民であれ、アメリカ人であれ
このゲームで主要プレイヤーを一瞬でも
演じたと感じた人は、誰でもがアメリカの魅力の虜になるようにも思う。


そして
言うのだ。


'It's fun. Why don't you come and play?'


ゲームにはまった人をやめさせるのは難しい。

基本的な幸福

"Happiness is inward and not outward;
and so it does not depend on what we have,
but on what we are." - Henry Van Dyke


『幸福とは外面的なものではなく
内面的なものである。
だから、我々が何を持っているかで
幸福が決まるのではなく、
我々がどのような存在(状態)であるかで
幸福がきまるのだ。』


と米国19世紀から20世紀の牧師
ヘンリー・ファン・ダイクは述べてている。


幸福が
何を持っているかで決まらないというのは、
あまり持っていない気がする自分には嬉しい定義ではあるけれども
我々がどのような状態でいられるかは
我々が何を持っているかで決まる事もあるんでは
とふと不安に思ったりもしてしまう情けない私でもある。



しかし
ヘンリー・ファン・ダイクさんよりも
説得力がある
定義をしてくれた人がいる。



その人は高校時代の倫理社会の先生である。
お名前はもう忘れてしまった。


その定義とは


「基本的な幸福とは、
ある程度健康で、
抱いてもらいたい時に
抱いてくれる人がいること」



というシンプルなものだった。


これが誰かの説なのか
先生のお考えなのか
わからない。



しかし
人生のどの段階においても
この基本的な幸福の定義は
だいたい当てはまると思う。



オッパイもらって
お腹も満足
オムツも変えてもらって
お尻もきれいなのに
どこも痛くないのに
わんわん泣いている赤ちゃんも
抱っこされてやさしく揺すられていると
泣きやむ。






幼児から児童になって
あんまり
抱っこが必要なくなっても
友達との関わり合いの中で悔しい想いをした時、
先生にいわれなく怒られてしまった時
失敗をしてしまった時
そんなこんな苦しく寂しいときに
誰かに抱っこされる子はしあわせだと思う。




そして
大人になっていくと
今度はパートナーと抱き合う。



友達でもいいけど、
パートナーがいると尚いいね。






そして
子どもができたり、
孫ができたりして
抱っこをしてやる。
あるいは
子どもがいなくても
ペットを飼ったりして
何か大切なものを
抱っこしてあげると
抱っこした自分が
また幸せになるのだ。



人生のこの辺りの
幸せは
すごい。



幸福が同心円のように
広がっている。



そうなんだ。
全くの健康でなくても
ある程度元気にしていられて
抱いてもらいたい時に
抱いてくれる人がいれば、
お金があまり無くても
仕事があまりうまくいってなくても
結構幸せだと思う。




この基本的な幸福から
発展・応用的な幸福へと向かうには




ひょっとすると、
もっと色々なもの


資産や
美貌や
名誉や
権力や
才能などが
必要なのかもしれない。





でもとりあえず
この基本的な幸福を
手にいれることができるといいね。






そして
もしそれを手にいれることができたら
その幸せが
指先からこぼれ落ちていかないように
しっかりと抱きとめよう。


自分の幸福が今ここにあることを
感謝しながら。